10周年記念企画 第5弾
「地域ささえあい助成」10年間のエピソード作文入選者の発表

大震災山元支援から

みやぎ県南医療生活協同組合
 渡辺 建寿(わたなべ けんじ)様

初めに

2011年3月11日の東日本大震災からまもなく12年が経過します。この間私たち医療生協の職員や組合員さんは震災の被害の大きかった宮城県山元町(やまもとちょう)を中心に被災した方々の支援を多くの団体の方々と共におこなってきました。10年を経過して被災した方々は災害公営住宅などをはじめそれぞれが生活を再建しながら暮らしております。私たちは今も災害公営住宅やいくつかの地域で支援の継続として安心して暮らせる一助として毎月健康教室(いきいき教室)などを開催しております。

医療福祉生協加盟の協同組合からたくさんの支援物資をいただきこの提供が最初の活動でした。そしてがれき撤去や住宅の整備なども実施してきました。はるか神戸や大阪、香川県などからも半日をかけて大型バスでかけつけてきてくれた多数の職員や組合員さんが支援活動に大きな力を発揮してくださいました。2011年は金曜日の業務終了後出発し土曜の支援活動終了後にまた12時間かけて帰り月曜日から業務に復帰するという強行軍の支援がつづきました。被災した方々は勿論のこと全国でも最も小規模の医療福祉生協の私たちにも大きな励ましとなりました。活動に参加された皆様にせいいっぱいの感謝を申し上げます。

この10年の活動のなかで様々なエピソードがありますがその中の一つをご紹介いたします。

被災地支援活動のなかから

被災者さんたちも緊急の避難所から仮設住宅へ入居するなかで少しでも元気に安心していただける生活の一助として私たちは山元町に11か所ある仮設住宅を支援の方々と一緒に毎月訪問して健康状態のチェックや少しでも心をやすめていただけるように、心のケアもかねてストレッチ体操や楽しい企画をおこなってきました。(これはいきいき教室として今も継続しています)。その中で伴奏のキーボ-ドとギターでみんなで歌を歌うことにしていました。この中で一番最初に“ふるさと”を歌おうとして始めようとしましたが被災者さんから“この歌はやめて!!”との声がでました。この歌を聴くと自分のふるさと、我が家の悲惨な状況が思い浮かぶとの気持ちからでした。私はこれを聞いてまさにその通りと思いすぐやめて、相応しい曲をと考えて坂本九の上を向いて歩こうにきりかえました。まさに涙がこぼれないように下向きになりがちな自分も励ますこの歌が仮設の集会所に響きました。でもやっぱり涙が流れた方も。それでもしばらく後には“ふるさと”もメニューにはいる様になりました。この歌のもつ幼いころの故郷への憧憬がこころから歌える気持ちにだんだんなっていったからでしょう。それからは手話もいれてこの歌は歌うようになりました。仮設から災害公営住宅に移っても最後は歌になります。今も2011年4月に私たちのデイサービスで行った山元町の被災者さんの入浴サービスに参加した被災者さんが、毎月の災害公営住宅のいきいき教室に参加されています。

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